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健康診断

2010年3月24日

今日、何年かぶりに健康診断を受けた。

採血しながら
X線撮影しながら
血圧を測られながら・・・
夫を想った。

毎回、外来で病院を訪れる度に
採血は当たり前のことだった。
X線もCTも、何度も受けた。
全て、当たり前のことと感じていた。

久しぶりの健診に

もし何か病気がわかったりしたら、どうしよう・・・

と、少し緊張した。
夫は、毎回どんな気持ちで受けていたのだろう。
CTを受ける度に
小さくなったり、大きくなったり、
再発・・・転移。

私は、どれほど夫に寄り添えたのだろう。
どれほど、夫の想いを
理解出来ていたのだろう。


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テーマ : いま想うこと - ジャンル : 日記

いつも傍に

2010年3月19日

夫が亡くなった翌日の夜
帰って行く親族達を見送った後
息子と2人、どうしたらいいのか・・・
夫のいない家が、やけに空っぽに感じられ
淋しくて、淋しくて、淋しくて・・・
身体中に、温もりなんてこれっぽっちも残っていない様な
何もかもが止まってしまって
世界中に息子とたった2人だけで取り残されてしまった様な
空虚で・・・孤独だった。

今まで通り、まだ入院している様な気もした。
抗がん剤投与でよく入院していた、がん専門病院の
家族と過ごす夕刻の食堂で、1人私達を待つ夫の姿や
病室のベッドに横たわって、テレビを観る夫の姿
1階まで見送ってくれて、手を振り続ける夫の姿
そこに行けば、またすぐ会える様に・・・
そんな姿ばかりが浮かんできて
でも次の瞬間には 

もう、あの病院にはいない
もう、帰っては来ない

現実が襲ってくる。
果てしない孤独感に、胸が張り裂けそうだった。




いつもはうるさいくらいの息子は
静かに、いつもの夫の場所 の傍に座り、
壁に背を預けて、おもちゃをいじっていた。

ふいに、息子の側のテレビが目に入った。
夫が、最後のボーナスで
何度目かの 最後のわがまま と言って購入した
薄型大型テレビの真っ黒い画面。

「パパ、いてくれてるのかな?
 テレビで見るみたいに、写真に撮ったら
 パパ、写らないかな?」

息子と共に、すぐにデジカメを取り出し
パパの大事なテレビの画面に
パパの定位置の紺色の椅子に
デジカメを向け
半押しで、ピント合わせをした。
最初は空気中に浮遊するゴミだと思った。
大小の白いモヤの様な○が
上下左右に、早いスピードで画面を通り過ぎる。
シャッターを押しこんだ。
テレビ画面に、夫のイスに
淡い、モヤの様な、白い○が沢山写った。

「これ・・・パパだよね」

ピント合わせの半押し状態で画面を覘くと
時に、それは赤い流れ星の様に
画面中を流れていった。

絶対にパパだと思った。
息子と共に、笑ってた。
それからは毎日、デジカメを撮り続けている。

母や兄、義弟、親戚
皆、曖昧に笑って信じてくれない。
きっと「大丈夫かな」って思ってる。
兄は、電波が写りこんでいるだけだと言う。

でも、それは、泣いたり、文句を言ったりした時
嬉しい時、変化する。
引越して、ひと月くらいは・・・写らなかった。

息子と2人、絶対にパパだと思ってる。
パパがいつも、見守ってくれているんだと
信じてる。


テーマ : 家族日記 - ジャンル : 日記

治験開始(4)

2008年6月~12月

脱毛は、頭だけに止まらなかった。
全身、脱毛することを知った。
普段は、眉毛やまつ毛が無いことが辛かった。
丸坊主で、眉毛が無い。

「満員電車なのに、俺の廻りだけ少しゆとりがあるんだよな」

太枠の黒縁の眼鏡で、大分印象が変わることに気付いた。
家族旅行の回数が増えたが、お腹の傷も目立ち、
温泉もまた辛かったようだ。

「パパが入って行くと、他の人がみんな上がって
 2人だけになったから、泳げたんだよ」

「誰も目を合わせないで、面白いくらい
 サササッと上がって いくんだよなぁ。
 スキンヘッドだし、お腹の傷あるし、眉毛無いし
 ちょっと怖い?」

なんて、息子と一緒に笑ってた。





この頃、日頃から、夫と意見が対立していた上司が
飲み会の席で、夫の後ろから
夫の刈ったばかりの青白い丸坊主頭のアップ写真を
携帯で撮って、職場の皆にメール添付で送り
笑い話にしたことがあった。
もともと仕事の進め方で衝突したこともあり
夫は目ざわりな存在だったのだろう。
夫にも送られた添付画像を私に見せながら

「人間性だよな。
 これが上司なんだから、イヤになるよ」

と、苦笑していた。
「がん」とは、本当に辛く苦しい病だと思った。
治療の辛さだけではなく、廻りの人々の偏見とも
闘っていかなければならない。
外傷とは違い、抗がん剤の副作用の苦しみは
目で見えるわけでは無いだけに
廻りから理解を得ることは難しい。
人々の「人間性」が見える病でもあると思った。

それでも夫は、あの穏やかな、彼独特の笑顔で
最期まで仕事を続け、私と息子を守り続けた。
夫の強さが、傍にいてくれるだけで
守られていると思えた、あの安心感が
とても恋しい。


テーマ : 家族日記 - ジャンル : 日記

治験開始(3)

6/16 NK105投薬開始。
開始日は、夜には水下痢となり、翌日は軽いのぼせ感があったが
それほどひどい副作用は感じていなかった様に思う。

退院後、徐々に手足、特に足のつま先のしびれを感じ、
このしびれ感は次の投薬まで消えることは無く
投薬の回を重ねる毎に、しびれは痛みへと変わっていった。
革靴を履くのが辛く、先の細い靴は履けなくなった。

初回投薬後から、シャンプーの度に髪が大量に抜け
朝起きると、枕に沢山の髪の毛が抜けおちていた。
その徐々に抜けていくことに、かなりのストレスを感じていたらしく
投薬2回目終了後、シャンプー時にごっそり抜けた髪の毛を見た途端
お風呂場から大声で私を呼び

「もうダメだ。刈ってくれ」

と、電動ヒゲ剃りを渡された。
まだ、少し薄くなってきたかなという程度だった為
そのことを伝えたが

「手にごっそり抜けてくるのがもうイヤなんだ。」

その必死な様子が、辛かった。
洗面所で、初めて夫の髪を刈った。
最初は、5分刈り位に刈っていたが
徐々にまだらになり、
その髪が抜けてチクチクする感じが堪らなかったらしく
最後には、剃りあげて丸坊主になった。

5分刈りの頃、私にはうまく出来ない為に
何度か床屋さんに行った。

「こんなちょっと刈るだけで○千円もかかったよ。
 ヘンな顔されたから、自分から
 抗がん剤で抜けたって言ったんだ」

これもストレスだったらしく
バリカンを購入して、私が刈る様になった。

夏は直射日光が辛く、冬は寒かった。
帽子が必需品となったが

「仕事中に、スーツ姿では被れないよ」

と、よく言っていた。

丸坊主にしたばかりの頃
夫と息子と3人で外出した時
夫が少し離れて歩いていることに気付いた。
どうしたのか聞くと

「だって、イヤだろ。」

と返ってきた。
なんだか泣きたくなった。
3人、並んで歩いた。
息子は夫と手を繋ぎ
私は夫と腕を組んだ。

刈りたての頭は、まだ青白く
すれ違う人々の視線が、ジロジロと頭に集り
避けて行くのがわかった。

毎日、1人、通勤電車や歩きで
どんな想いでいたのだろうかと思った。
ただ無性に、悔しかった。


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夢 泥棒

2010年3月15日

夫が亡くなった時、私達が住んでいたマンションは
夫の会社の借上げ社宅だった。
ゆっくりとした退去期日を提示しては下さったが
何もかもが中途半端な様な気がして落ち着かず
必要最低限の買い物・用事以外、外出しなくなっていたことや
これからの息子のことなど、いろいろ考え
七七忌法要を終えてから
私達は、両親と兄弟・親戚の住む地へ転居した。

引越しから数日後の夜中。
夢の中のリビングで息子と2人寛いでいる所へ
まるで知らない顔の男の人が、突然現れた。
いまも、顔までハッキリと覚えている。
薄いジャンバーを着て、ガッシリとした、
ジーンズ姿の、背が低めの男の人。

どういう理由か、夢の中で、私はその人を夫だと認識している。
その夫が、リビングにどっかと腰かけて

「戸締りちゃんとしたのか?
 泥棒が入るぞ。
 ちゃんと戸締りしないとダメだ」

と、私の顔を見て言った途端、目が覚めた。
夜中の3時過ぎだった。
何故だか落ち着かず、迷いながらも
やっぱり起きだして
次から次に部屋の電気を点けながら
窓のカギやドアのカギを確認して歩いた。

リビングとは反対側の、廊下の先の息子の部屋。
机の脇の大きな窓のカギがかかっていなかった。
道路とは反対側の、駐車場に面した窓。
引越しの日に窓を開けた時のまま
ずっと施錠されていなかったのだ。
部屋は1階。
背筋がゾクっとした。

急ぎ寝室に戻り、息子が眠る布団にもぐりこんだ。
息子は湯たんぽみたいにポカポカだった。

この日を最後に、夫は夢に現れてはくれなくなった。





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