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夢 起きろ

2010年3月14日

七七忌の法要を終え、お位牌をお仏壇の義母の隣りに移した。

義母のお仏壇は、当時寝室にしていた六畳間の和室にあった。
そこに布団を敷いて、親子3人、いつも川の字で寝ていた。
お位牌を移すと同時に、沢山のお花も、お仏壇の廻りに
義母と夫から見える様にと移した。
室内は、いつも、百合の香りがした。

息子と布団を敷きながら

「お花の花瓶、ちょっと怖いね
 ○○(息子)はものすごく寝相が悪いから
 コロコロ転がって倒さないでね」

なんて、よく話していた。

七七忌を終えた数日後、
いつもの様に、息子と1つ布団で眠っていた私に
夫が怒った顔で
やっぱり、アンダーシャツにボクサーショーツ姿で

「起きろ!
 ママ、早く起きろ!
 起きろ!」

何故か、夢だってわかってた。
起きろって言われたけど
起きたくなくて、泣きながら
必至で夢にしがみ付いていた。

でも、ふいに目覚めてしまった。
目を閉じたまま、それでも必至で夢に戻ろうとしたその時、
走り回る足音がした。
パッと目を開けると
息子が、襖を開けて走り出て行った。
リビングの小さい明りだけが点いていた。

「どうしたの? 何かあった?」

起き上がって、和室の電気を点けた。
花瓶が倒れて、水がもう少しで布団まで達しようとしていた。
息子が慌てて雑巾を掴んで戻ってきた。

何も、あんなに怒った顔しなくてもいいじゃない。
・・・ありがとう。

息子と畳を拭きながら
今の見た夢を、話して聞かせた。
「パパ、やっぱり守ってくれてるんだね」
息子は嬉しそうに笑って、素直に受け入れた。


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夢 帰ってきたよ

2010年3月13日

葬儀を終えると、次は山のような手続きと
四十九日の準備を始めなくてはならない。

でも、私は、夫が亡くなってしまったという現実を
受け入れることが出来ずにいた。
今、どうしてもしなければならないこと以外は、
全て後回しにし、家にこもり、現実を締め出していた

「もう会えないわけない」
「絶対、帰ってくる」

そんなこと、あるはずないのに、
なぜか、絶対の自信を持っていた様に思う。
始終、遺骨と遺影の前に座っては、泣きながら夫に語りかけていた。

「帰ってきてよ。
 会いたいよ。
 なんでいなくなっちゃうの。
 淋しいよ。1人にしないでよ。
 早く、帰って来てよ。」

こんなことばかり、語りかけていた。

葬儀から一週間ほど経ったある日
いつもの様に語りかけ、泣くだけ泣いて疲れきって眠りについた夜、
夫は夢に現れた。

玄関口の段差を上がりながら、
いつもの湯上り後の、半袖アンダーシャツにボクサーショーツ姿で
いつもの笑顔で、迎えに出た私の正面で、
私の顔を見て立ち止まり、穏やかに微笑みながら
「帰ってきたよ」
って、一言。
そのまま、私の横を通り過ぎ、リビングに入って
床に座って遊ぶ息子の横に、あぐらをかいて座り込み
目がさめるまで、夫は息子とブロックで遊び続けた。

泣きながら目が覚めた。
手をのばして探しても、夫にふれることは出来なかった。


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霊安室

2010年3月12日

結婚して20年、結婚当初から、口喧嘩をした後などに
私がいつまでも怒っていると

「○○(私)が死んで、もし地獄に行ったら、俺が必ず
  昔話みたいに、クモの糸を垂らしてやるよ。
  でも、昔話みたいに、○○は他の人たちを蹴散らすから
  クモの糸が切れちゃうんだ」

と、夫は笑いながら、よく私をからかった。

息子が生れてからは、そこに息子も加わり
地獄にいるのは息子と私になった。
息子は悔しそうに、よくパパに言った。

「どうしてパパだけが、いっつも先に天国にいるんだよ」




私達が住んでいたマンションは、会社の借上げ社宅であった為
最期に、夫を連れて帰ることは叶わなかった。

夫が亡くなった翌日、
斎場の霊安室で、棺の蓋を開け、
冷たく凍った夫の顔に初めてふれた息子は
一瞬ビクっと手を引き
すがるように私の顔を見て

「パパ、冷たい」

と言ったきり、また黙って夫の顔を見つめながら
ぽろぽろ ぽろぽろ 涙を零した。
それでも、また、顔にふれ、前の晩に書いた夫への手紙を
夫の胸元にそっと忍ばせた。

その場には、立会の葬儀社さんと、息子と、私だけ。
夫の親族が来る前に、家族だけで、ガラス越しにではなく、直接ふれて
お別れをしたかったから。

葬儀社さんが棺の蓋を閉める為に背中を向けた時
息子が突然、天井を指さして小さな声で言った。
「ママ、パパだよ」
つられる様に、天井を見た途端
黒いクモが、息子と私のちょうど真上から、
スルスルとクモの糸をのばして下りて来て
目の前を通り、床に着地した。
その時、葬儀社さんが振り返り私達に何か話しかけた。
注意が逸れたその一瞬の間に、クモは消えてしまった。

「ママ、パパいなくなっちゃった」
あわてて、大きな声で言う息子を、葬儀社さんがなだめた。
「大丈夫だよ、蓋をしただけで、パパはここにいるよ」

息子と顔を見合わせた。
同時に、みるみる涙が溢れた。


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治験開始(2)

6月11日~23日

治験薬の「NK105」は、それに含まれている有効成分のパクリタキセルに、特殊な高分子成分を加えて小さな粒子にし、がん組織に集まりやすくしたもので、通常のパクリタキセルと比較して、体内に長く留り、抹消神経障害が軽減されると考えられている。

6/11に入院し、翌日NK105の説明や、投薬スケジュールなどを説明された。
病棟は治験専用病棟となっており、初日はベッドの空きが無かったらしく個室へ案内された。
翌朝、病院へ行くと、通常の4人部屋に代わっていたが、まだ自覚症状も無く元気だった夫は
「個室は怖いよ」
と、部屋の変更を喜んでいた。
投薬開始は翌週月曜日の6/16からとなり、多少の検査を受けながら、ゆっくりした時間を過ごすことが出来た。

6/13は外出許可をもらい、2人でランチに出かけた。
「ここの病院食は、なかなか美味しいよ」
と言ってはいたが、元気な夫は、四六時中ベッドの上でおとなしくしていることは苦痛だったらしく、私が着くのを今か今かと待っていた。
職場近くということで、夫は地理に詳しかった。
「あの店は○○が旨いけど、混むんだよな」
「あの店、一回食べさせてやりたかったんだよ」
なんて、お店を指さしながら、その特徴を挙げて行く。

「胃がん」と診断されてから、特に、抗がん剤を始めてからは、辛いことや苦しいことが多かったけど、でも、その合間合間の、副作用の辛さが徐々に身体から抜けてから次の抗がん剤までの、苦痛少なく食べられる、過ごせるという短い期間が、私達には宝物の様に感じられた。

その日、帰宅後、夕食の準備をしていた所に、
「外泊許可もらったんだ。驚かそうと思って」
ニコニコした夫が、ドアを開けて入って来た。日曜日夜までの外泊だった。
息子は嬉しそうに
「パパー!」
と駆けて飛びついた。嬉しかった。幸せだった。

6/16 NK105投薬開始。
ここからまた、さまざまな副作用に苦しむことになった。


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治験開始(1)

2008年6月

この頃の夫の手帳には、肝臓転移が無ければ継続していたはずの、
消化器外科の外来予約日や検査予約日の書きこみに、
大きく×印がつけられ、長期療養の為の有休残日数が、
入院の度に色字で記されている。

抗がん剤治療は薬剤によって多少違いはあるが、
月に1~2回1週間程の入院が必要となることなどから、
仕事への影響を心配していた。
「今回の再発を報告したから、多分、そのうち異動になるだろうな」
実際、もう既に、夫は責任あるポストからはずされ、
同期や後輩は昇進していた。
「俺は、一体何の為に、今まで仕事を頑張ってきたんだろうな」
酔った時、ポロッと口からこぼれ出る夫の本音に、
かける言葉がみつからなかった。

夫は本当に仕事が好きだった。
定年前に「がん」を患うということは、
闘病の苦しさ・辛さだけでも十分大変なことなのに、
その上、家族への責任や職場での苦労までも
背負わなくてはならないのだと思った。

傍で、時には一緒に飲みながら、
一緒に笑って、一緒に泣いて、
ただ、夫の言葉を聞くことしか出来なかった。


6/6 採血等の検査の結果、夫の治験参加が決定し、
翌週から2週間程度入院して投薬開始となることを告げられた。


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